15日目 〜杭州へ戻る、はずが・・・

今日は午後、祖父が昔働いていたという天津街(旧浪速町)へ。ここの畿久屋という店のはす向かい、遼東ホテルの2、3元隣の野崎商店という店で奉公をしていたらしい。この遼東ホテルと畿久屋というのは、今でも建物が残っていた。遼東ホテルは現在の大連飯店、畿久屋というのは、パンフレットなどを見ると、天津街百貨店だとか、天百大楼だとか書いてあるのだが、実際の看板は新天百というものだった。

ここを見たときは、祖父も昔を思い出したようで、非常に懐かしがっていた。駅はあの方だったと指を指したが、果たしてそちらの方が大連駅。祖父は地図なんか見て歩いてないから昔の記憶が蘇ったんだろう。今日も、連れてこれて本当に良かったと思った。
その後夕食を食べてから空港へ。夕食時には次は北京に行くと言ってくれたようで、それだけの体力があるかどうかわからないが、自分としても楽しみが増えた。もし無理でもまた田舎に帰りたい。

さて、それから空港に行ったが、今日の大連は朝からものすごい霧。飛行機は延期はもちろん、取消となったフライトも数多く、自分もどうなるかわからないが、とりあえず行ってみるしかなかった。30分ほどタクシーに乗って空港に着いたが、チェックインカウンターに行ってみると、果たして飛行機は取消になったらしい。どうしたらいいのかわからないので、聞いてみると、航空券を変えろとのこと。とにかく中国人がごった返している航空券売り場まで行ってみる。ここでは、飛行機会社の従業員と、客がときたま怒鳴りあいをしている。
「今日飛ばないのか?それで何か保障はあるのか?」「ない。天気が悪いのはどうしようもない。」(天気が悪くて飛ばない場合、航空会社負担にならないのは共通ルールらしい。)「何故だ。じゃあどうしたらいいんだ。」「近くのホテルや親せきの家に泊まって、明日・・・」などと喧嘩調子だったり、話し合いだったりが行われている。

「明日・・・」以降が聞き取れず、肝心なことを聞かないとしょうがないので、20分ほどそこにいて、とにかく何を言っているか聞いていた。その後、とにかく明日の朝来ればいいのかどうか確認しようと、従業員に話しかけると、どうやら英語ができるらしい。助かった。
英語だと向こうも簡単な単語をスロースピードで話してくる。これなら聞き取れる。「とにかく明日の同じ便を手配するので、連絡先を書いておいてくれ。会社から連絡を入れる」と簡単な英語で説明をしてくれた。

それなら今日上海に飛ぶ飛行機に乗れないか聞いてみたが、それも満席だとのこと。もはや空港にいてもどうしようもないので、またタクシーで同じホテルまで引き返すことにした。
しかし、異国の地で、一人で活動するというのは、本当に心細く、疲れるものだ。

ホテルに戻ってから、とにかく大学の先生には連絡をして明日休むと伝えた。
別の便が手配されたと携帯に入っていたが、明日も空港で勝負だ。

明日は天気がよくなりますように。。。