卒業論文が忙しく、ずいぶん長いことブログの更新をしていなかった。

その後、無事清華大学を卒業することができ、帰国し、それから3年も経ったが、今年の夏から再度中国に赴任することになった。

今度は仕事も忙しく、家族同伴で行くので、暇な時間もほとんどないと思うが、
出国に向けた準備、アパートの確認、レストラン等、テーマを決めて時間があるときに書いていこうと思う。

よろしくお願いします。

今日は兄夫婦の女の子が無事生まれたようです。

ちょうど1年ほど前のいま、中国で心配しながら知らせを待ってたことを思い出します。

この1年間、最初の半年と比べると中国生活の刺激はそれほど多くなく、時の流れは早くも感じますが、娘の1年間の成長を見ると、最初は手もほとんど動かせなかった彼女が今では台につかまりながら立って手を離して自慢げに見てくる、そんな1年間は彼女にとってとても大きなもの(というか人生そのもの)だったはず。

父親として、というよりは、自分もまだまだ一人の人間として、これからも毎日毎日、ただ惰性で生きていかないで頑張って生きていきたいなと思います。

それはともかくおめでとう!

東北旅行

2月5日〜10日まで東北地方の都市(ハルビン、瀋陽、丹東)を回ってきました。
ハルビンはそれほど寒くなく、零下15度〜25度。それでも地面は氷ばかりなので、足のつま先とアイフォンで写真をとるために露出せざるを得なかった手は痛かったです。雪まつりを見て、ロシア料理食べて、名物のビールとソーセージを食べて動車で瀋陽へ。
瀋陽では北京で知り合った地方自治体事務所の方及び瀋陽が故郷の北京の友人と会ってきました。東北かつ新年と言えば餃子。この旅行中に50個は食べました。満鉄が作った旧ヤマトホテルに泊まりましたが、泊まった人リストには松岡洋右、溥儀、毛沢東、周恩来、ダライラマ14世など有名人がずらり。本庄繁などの関東軍司令官もいました。庶民がそんなホテルに泊まれるなんて、時代も変われば変わるもんです。
北京より小さい故宮をさっと観光した後は、918記念館(中国で国痴の日とされている柳条湖事件の記念館)を見学。その後、5人ほどに道を聞きながら、張作霖が爆破されたとされる場所を探して見ましたが、道路が出来て、場所が分からなくなってしまったらしく、結局近くまで行って何となく写真を撮って友達との夕食へ。
中朝国境都市の丹東までは瀋陽からバスで3時間。アメリカ軍の空爆で壊れたままだという断境や、万里の長城の東の起点や、中朝合資で開発を進めている島(テナントがまったく入っていない廃墟のような地区でしたが)から北朝鮮を眺めてきましたが、やはり中国と朝鮮では建物の高さと人の気配が全然違いました。急発展するこの町で大晦日の夜を見ましたがものすごい花火と爆竹。去年麗江で全然花火がやってなかったのは、麗江が木造建築の都市だからなのだろうとようやく気づきました。花火は5階〜20階程度の高さで破裂し、火花は近くのビルに容赦なく降り注いでいました。そりゃ怪我人も出るわけだ。これでもかという花火に中国人のメンツやら勢いやらそういうものを感じた気がします。ホテルでも餃子のサービス。北朝鮮側では花火どころか電気もついていないので、好対照です。丹東から電車で20分(1時間に1本だけど)のところに満鉄が開発した五龍背温泉というのがあったので、大晦日で休業してるかもしれないと懸念しつつ行ってみましたが、サービス精神十分な従業員と会話を楽しみつつ、客は男2人だけという最高の環境の中で無事入れました。

都市と農村

最初はこんな記事でも。
http://j.people.com.cn/94475/8083443.html
公務員の採用が公平なものになっていくのは当たり前だと思いますが、財政不足になる前に、都市と農村の所得格差と、戸籍上の区別(住宅、車購入、社会保障、教育等々)を早く何とかしないと。
地方政府は農村だった土地を売って不動産開発して、税収を上げていますが、出来上がるのは都市戸籍住民向けの空き家ばかりの住宅、空室ばかりのオフィス供給が多くなっている。
都市から農村への労働力移動に合わせた都市における農民工受け入れシステム(特に住宅)、および農村地区の生産性向上に取り組まないと、いつまでたっても都市と農村の所得格差は埋まらないし、その結果、長期的に必要な産業構造の転換も望めない。
だが、教育や福祉など、支出が多くて、税収の期待できない施策を地方政府がやりたがらないのは日本でもどこでも共通。地方政府の取り組みだけに任せておいて成功するものではない。
戸籍撤廃は成都や重慶が国家モデル地区ではあるが、ハルピンや南寧など労働力流入が激しくない地区で戸籍撤廃の動きがあるのは、その労働力を活用したい企業誘致のためだろう。
朱鎔基の時代に分税制の改革をしたのは、中央政府による施策実現力を高めるためだったはず。もちろん18大大会では都市農村協調発展は重要施策に上がっているが、土地バブルのコントロールができている間に本気で都市農村構造改革やらないと、どの地方政府も財政負担をしたがらなくなるはず。

中国語での討論

昨日は、エネルギー会社コンサル、外資系コンサルの中国人の友人と、最近よくつるませてもらっている三井住友、朝日新聞の日本人の友人と新年会。

一応みんな中国語ができるということで、中国語で、社会問題について延々と議論。ここまで議論することになるとは思っていなかったが。
歴史問題から、税金、金融、通貨、投資など色々な話題に及んだ。
天安門事件については、やはり義務教育ではほとんど習わないらしい。(教科書に書いているのは1行だけだと言っていた。)一方で、日本人は謝り方が抽象的で謝っているように聞こえないとも。特に国家レベルの問題については、国を代表する人であったとしても、直接的な表現を使わない傾向は確かにあるかもしれない。

こういう人たちと毎日話すことができれば知識も膨大に増えるし、刺激があるだろうな〜。
それにしても、友人間だとはいえ、こういう会話をできたという点では、自分の中国語力も上がっているんだと感じた。引き続き努力します。

天津旅行

留学期間も6カ月を切りました。今年もよろしくお願いします。

さて、年末年始、日本人の友人は半分ほど帰国してしまったので、今日は近場で残しておいた天津に旅行に行ってきました。

高鉄(CRH)に乗って、北京南駅から片道40分で到着。値段も55元。時間的には渋谷から横浜まで行くような感覚でしょうか。

天津は古くから港町として栄え、日本に入ってきた中国の物に、天津が名産地でもないのに、「天津○」という名前がついたと言うような街。また、各国の居留地が置かれたり、周恩来とゆかりのあったりと近代の歴史的にも重要な街です。

1日しかなかったので、周恩来記念館、五大道(ヨーロッパ風建築物が残っている地区)、古文化街(中国風歴史的建築物を再現した地区)、天津名物・狗不理包子、イタリア文化村(イタリア式建築物をテーマにした観光地区)を巡ってきました。

名物料理にうまいものなし、ということわざ通り、狗不理包子は超がつくほどまずい。しかも高い。こんなんなら北京の街中で売ってる肉まんの方がうまいわ。まぁ旅の土産話程度に。

五大道の建築物の保存状況はかなり良くて、北京でもこれくらい保存できればと思うが、人口圧力の違いだろうか。

その他の地区はそこそこ。杭州や成都でも似たようなものを見たので大して感動はない。初めてならそこそこ面白いかも。

立ち寄った雑貨屋でデンデン太鼓が10元で売ってたので、5元にまけてもらって娘ヘのお土産に。まだ難しいかな。

感じた北京との違いのは2点。
川がある。北京には郊外にしか川がないので街のど真ん中を川が流れているのは新鮮。上海との共通点でもあるが、やっぱり川は重要な景観ポイントだ。凍ってましたが。
タクシー運転手がいい人。3回続けて韓国人かと聞かれたものの、とにかく話しかけてくる。5回乗って4人は自分から積極的に話をしてきた。いま、北京のタクシーではこんなことはない。積極的に話してくるのは、せいぜい2回か3回に1度ほどだろう。中国人の特徴だろうか、(色んな分店があるので)狗不理包子のおいしい店を聞くと、みんな違う回答をしてきたが、まぁそれもガイドブックでは味わえない旅の楽しみの一つだと言えるだろう。

というわけで昼12時に出発して夜10時に戻ってきました。北京天津はほんとに1日観光圏です。

忘年会

今日は留学生の友人たちで忘年会。建外SOHOにあるフェアモントホテルのデラックスルームを借りて、みんなで紅白を見ながら年越しをしようという企画を双日の方と外務省の後輩が中心にやってくれた。

体調が芳しくなかったものの、家で一人で寝てるのは寂しすぎたので、19時くらいに到着。各自お酒持参だったので、自分は今回は優しい酒(いいちこBarという焼酎に果実リキュールを入れた酒)を買っていった。
同じく建外SOHOにある江戸前寿司でおせち料理を予約してくれており、ちょっとフライングだったものの、20時くらいからおせちを食べながら開始。真っ黒な美輪明宏にはみんな引き込まれてしまいました。また、集まった人の年代的にプリンセスプリンセスでは盛り上がったりなど、北京で紅白を見ながら年越しをするなんて機会が得られてほんといい思い出になりました。

その後、酔っぱらった人たちはずっと飲んでましたが、体調の悪かった自分は水を飲みながら行く年来る年をしっぽり見て、来年は伊勢神宮、出雲大社ともに遷宮なんだなとか思いながら、そろそろ帰ろうとコートを取りに行った瞬間に年が明けてしまってました。

というわけで、今年一年お世話になりました。