渡航日

朝起きて大急ぎで残りの準備をして、武蔵小杉からリムジンバスで羽田に向かった。到着は9時40分くらいで、出発まで4時間。飛行機の出発時間を間違えていた上にリムジンバスが予定よりだいぶ早くついた。しかし、手荷物の整理や昼ご飯を食べている間に結構時間はなくなり、ご飯を食べた後、親と電話をしてお土産を買ったら思っていたよりすぐに来てしまった。
もう出発の時間かという感覚で手荷物検査へ進む。見送りに来てくれた妻が入ってこないのを見ると、お腹の中の赤ん坊のことも考えると、やはりぐっと来るものがあったが、「毎日連絡するから」と自分にも言い聞かせるように言って中へ。飛行機の離陸の際ももう一度感傷的になってしまった。家族と別れるというのはいくつになってもつらいものだ。出発の際は、非現実感、高揚感、不安、寂しさ、使命感などの感情が入り混じっていた。

上海到着は15:40、こちらも予定よりだいぶ早い到着。手荷物をとって、上海の旅行社に頼んでおいた新幹線の切符を受け取ってから、無料バスでターミナル間移動をした。以前舞と上海に来たときに逆方向に乗ったバス。前の時は飛行機の出発ギリギリだったし、バスもなかなか来なくて、さらに人が割り込みしまくって、かなり大変な思いをしたが、今回はバスはすぐに発車したし、席もすいていた。当初の予定は地下鉄で移動するつもりだったが、バスの方がむしろよかった。
新幹線の切符代は131元で手配代が60元、空港までの配達料が200元。今年から購入の仕組みが変わり、中国人は自動改札機で買えるらしいが、身分証がパスポートしかない外国人は窓口で買わないといけないらしい。もともとの切符代に比べると相当高いが、一人で大荷物でうろうろとしたくなかったので、やむを得ない。

さて、国際線ターミナルから国内線ターミナル(ターミナル1)についたのは、16時30分頃。ターミナル1と上海の鉄道駅(虹橋駅)は直結している。電車は19:00発で、ここでも時間に余裕がありすぎたので、口座開設業務をやっている銀行か携帯電話を売っている店がないか探したが、あるのはケンタッキーや永和大王といったファーストフードの類くらい。荷物も重いし、たいして面白そうな店もなかったので、断念して電車待ちの場所に移動しておとなしく待つことにした。
ここでは、かなりの人間が電車待ちをしていた。行先も北京、南京、杭州、成都・・・とかなりの数。空港から鉄道駅に着くまでは、通路等々すべての施設が大きい割に人がいない気がしていたが、上海駅の列車待ちスペースも大きかったが、それでも人があふれている感じだった。大人口を抱える中国のターミナル駅になるとこんなものになるのだろうか。高校生くらいのカップルや親子連れ、ビジネスマンなどがいるが、老人はあまりいないようだ。
駅はかなりきれいだったので、まぁ待つのも悪くなかったが、乗車時間は1時間程度なのに、電車発車まであと1時間半もある。やることがないというのはつまらないもので、とりあえず日本に連絡をしたかったが、公衆電話すら全くない。携帯電話が普及したからといって、少しくらいは残しておけよ。こんなことなら携帯を解約してくるんじゃなかったと思ったが、しょうがないので、パソコンで日記を書いたり、中国語の教科書で勉強したりした。
そんなこんなで発車時間。列車は相当きれいで、1等車ともなると、日本の新幹線と同じかそれ以上の設備に感じた。しかし、販売員が乗客と同じくらいのスピードで歩いていたり(来たことに気付くくらいで、買えない)、扉が片方あかなくて乗るのに逆側に回りこまないといけなかったりと、ハードは重視するが、サービスやメンテナンスは重視しない中国らしさも見えた。
そうは言っても快適な鉄道の旅。最高時速は350kmくらい。乗り心地もまぁまぁ。途中停車は嘉興駅だけで、確かに50分くらいで杭州についた。
さて、杭州についた瞬間、今までなかった、中国っぽい(田舎っぽい)においがした。すぐに鼻は慣れたが、上海の空港や駅と比べると、杭州駅はまだ昔ながらの雰囲気がした。
タクシー乗り場もこんな感じ。次々とタクシーが来たので30分程度で乗れたが、駅にも家族か誰かの帰りを待っている人も多かったし、観光やタクシー(白タク)の勧誘も多かった。乗ったタクシーに行き先を告げたあと、「你是哪国人?(どこ出身?)」と聞かれたので、「我是日本(私は日本です。)」と答えてしまった。なんてこった。。。中国に来て最初の言葉は、大学1年生でも間違わないような間違いをしてしまった。この間違いが悪かったのか、タクシーの運転手はそのあと黙ってしまったが、まぁ街中の道や店の雰囲気を見ておきたかったので、これはこれでよかった。

さて、着いたのは浙江大学の門。近くにいた警備員にここに行きたいとメモを渡すと、「直走・・・大马路。然后拐右・・・小时。」と言っていたので、何とかその通りに行ってみると、確かに目的地の看板が出ていた。言葉の聞き取れなさに自信をなくしながらも一安心して構内を歩いていると、店もまだやっているし、学生はバスケットボールを持ったものから酔って友達に肩を貸してもらっているもの、学生以外の人もいろいろと歩いている。もう夜9時なのだが、寮や店が中にある大学というのはこういうものなのだろうか。歩いていると、そのうち看板が消えた。目的の建物についても泊まれるかどうかすら確信が持てない状況で大荷物で大学の中をさまようことになったので、見た目も怪しいし、心身ともに疲れもピークになってきたが、前向きにいこうと思い直し、その後も店の人や警備員に道を聞いて、なんとか目的の建物へたどり着いた。入り口には白人や黒人や日本人とみられる人も談笑している。自分の名前があってほっとしたので、チェックインをして、前払い金を払って部屋へ。(名簿を見てみたがこれから来る人に日本人はいなかった。)ここでも、もちろん中国語のやりとりがあったが、3回くらい言い直してもらわないとわからない。

部屋は6階なのでなかなかいいと思ったが、部屋についても寮の説明や、設備の使用方法などは何もない。とにかくパソコンをつないでみたが、当然つながらない。また、電話も国際も国内もつながらない。後日、入学手続きの時に色々渡されるのかと思ったが、これから4日間過ごさないといけないので、とにかく下に行って聞いてみた。するとインターネットは学生証がないといけないとのこと。国際電話も寮の電話だとできないと言われ、家族に無事ついたことを伝えられないのが申し訳なく思ったが、そういったことなら明日にするしかない。日本人を見つけてパソコンを借りようかとも思ったが、家族には明日何とか連絡することに決め、ここで日本への連絡は断念。

飛行機での食事(昼は食べていたしおいしくなかったのでほとんど残した)以降何も食べてなかったので、ご飯を買いに行った。店で何か食べ物を買おうと思ったが、おいしくなさそうなパンとお菓子と飲み物と乳製品のみ。乳製品が食べたかったが、日本にいるときからなるべくやめておこうと思っていたので、お菓子と飲み物だけを買った。プリッツと書いていたが、全然おいしくない。

その後、風呂に入った。バスタブはないのでシャワーだけだが、お湯はまともに出て一安心。風呂に入りながら、「やはり最初は誰か生活立ち上げを一緒にしてくれる人がいる街にしておけばよかった。」「インターネットのつながるホテルにしておけばよかった。」とも思ったが、「今日一日でも相当にストレスがたまったが、明日またリセットして、気分を盛り上げて前向きに一日過ごしていこう。」とも思った。
今日の昼食はロースかつ定食だったが、夕食はプリッツ2本。これは痩せる。というか病気になってしまう。プリッツなどを買った売店の近くでいい匂いがしたが、今日は移動と会話に疲れたので行く気にならなかった。
テレビをつけてみると当然中国語。これを毎日聞き続けたらそのうち聞きとれるようになるだろうか。大学が始まるまでの間だろうが、夜やることもほとんどないので、落ち着いたら、中国語の勉強に打ち込めるのではないかとも思った。布団はなかなか気持ちいい。とにかく、明日インターネットと携帯をなんとかしよう。ご飯もまともなものを食べてみよう。