中国近現代地域計画

今日は地域計画の授業。中国の近現代地域計画についてだった。
近代地域計画の走りは、张謇という人が南通という町で行った都市開発らしい。会社を作って開発を行ったとのこと。
その後、孫文による全国の交通網戦略、国民政府による、南京首都計画などは当時としてはかなり先端的な計画だったとのこと。
そして、日中戦争中の抗日拠点計画について。日本の占領した大連、青島の計画も軽く触れていた。
終戦後は共産党政府による農業、工業改革(大躍進)、この頃までは(地域計画の観点では)まだましだったが、(民主主義国及びソ連に対抗するための)三線建設以降(文化大革命も含むのだろう)は地域計画がないがしろにされ、大きな損害を受けたと説明していた。
産業立地の効率性よりも軍事的な拠点性を重視して内陸に重工業を立地させたという点が非効率極まりないのは当然だが(国土計画の観点)、工業の立地を無法図に行ったと言う点が都市計画の観点からも問題があったという点は新たな発見だ。
その後、改革開放以降の経済開発区計画があり、社会主義市場経済体制の確立以降の総合的計画を説明して授業は終わった。

とても面白かったが、この社会主義市場経済確立以降の地域計画についてどのように整備されているのか知るのが留学の目的。もちろん一朝一夕(中国語でも一朝一夕)で身に付くものじゃないのだが。

その後、図書館で設計の課題。多摩ニューの時代区分を3つに区切って開発計画、土地利用、住宅の質、交通がどのように変化しているかを見ようと思うがどこで区切ればいいかがいまいちつかめない。人口増加(東京都心部の人口:減少→安定→再増加、多摩市の人口:急増→増加→安定)で3つに分けるのと、バブル時代の開発意欲が高い時期を第2期にするのでは微妙にずれてしまう。

自転車で帰るの寒いだろうな〜。