新疆旅行4日目〜敦煌

今日は敦煌へ。敦煌は新疆ではなく、甘粛省の街であり、人口13万人程度の砂漠の真ん中に立地するオアシス都市。

前漢の時代に武帝が敦煌郡を置いてから漢文化圏の西域支配の拠点となっていたが、唐の安氏の乱以降すたれていったらしい。

日本人には井上靖の小説や平山郁夫の絵画によって有名な町だ。

朝一の飛行機でウルムチから敦煌へ向かったが、客は最大乗客数の四分の一程度であり、非常にゆったりした飛行機の旅だった。
飛行場は到着ロビーと出発ロビーを合わせて60m×30m程度、1日3便、滑走路はもちろん1つというかなり小さな飛行場だった。

しかし、ここで驚愕したのは、中国語、英語に続き、日本語のアナウンスがされていたこと。北京や、日本人の多い大連でも日本語のアナウンスはされない。敦煌空港に来る人は圧倒的に日本人が多いのだろうか。空港で売られていた地図にも日本語が載っていた。

さて、タクシー。例によって地方都市なので吹っかけられるだろうと思い、地球の歩き方を先に見ておくと、市内まで30元程度とのこと。40元までならいいかと思い乗り込むと、提示価格は最初から40元。拍子抜けして「行」(いいよ)と言うと、運転手も苦笑いしていた。

泊まる予定のホテルで旅行のあっせんもしていたので今日のツアーは手配してしまった。
その後出発まで時間があったので、明日の旅行の手配、汽車の手配、食事などをしてから市内を歩いて見て回った。

街中は車はかなり少ないが、タクシーがかなり多い。そして信号も余りない。
そして中国の他の都市との一番の違いを感じたのは、接する人々の優しさ。たとえば以下の通り。
・街中で「ニホンジンデスカ?」と近寄ってきた人が自分の店の名刺を渡して「ゼヒキテね。ヒガシへのリョコウはコノアタリでバスがデテイルよ。ニシへはコノアタリだよ」と伝えて去って行った。(客引きでもないのに、情報だけをくれた)
・旅行社の1階にいた人(旅行社ではなくホテルの人だったようだ)が、「今はメーデーで人がいないけど、探してみよう」と一緒に人を探してくれた。
・旅行社の偉い人の部屋に行くと、2人でタバコを吸って和んでいたが、わざわざ立って「ほら、あそこの部屋に人がいるはずだよ」と教えてくれた。
・旅行社の職員は、こちらがツアーを申し込むかどうか決めるまでせかすことも、他の仕事をすることも、携帯をいじることもなく、じっと待っていた。
・さらに、夜の電車の時間も調べてくれて、提案も行ってくれた。経営者は日本語ができるので、もし希望があれば電話してみようかとも提案してくれた。
・ハイヤーした車の運転手はドアを開けてくれた。

こんなことは、普通に暮らしていると、考えられない。中国人は友達と認めると徹底的に優しいが、見ず知らずの人には見向きもしない。敦煌の人たちは、初対面の人に対しても、友達と見ず知らずの人の中間の対応ができる人たちだった。

食事は敦煌名物の麺(黄麺)というものと、ラクダ肉と、薦められた麺。
   

さて、今日行ったのは莫高窟と月牙泉という市内から近い観光地。近いと言っても、莫高窟へ行くには砂漠の道を通らなければならず、30キロほどの道を1時間ほどかけていくこととなった。

莫高窟は、世界遺産。仏像画がかなり多く残されており、また敦煌文書が見つかった場所としても有名らしい。そして高さ30メートル以上の大仏がいた。中国で四川省の2体に次ぐ大仏らしい。

中は撮影禁止となっており、外からの写真しか取れないが、なかなかの文化遺産だった。
    
平山郁夫や池田大作もこの遺産の保護に寄付をしているらしく、3人の日本人の写真が載っていた。こちらは平山郁夫。

今日は砂嵐がひどく、帰りの道は先行車2台分くらいしか見えなかったので徐行運転。
次に行ったのは月牙泉(鳴沙山)。敦煌市内から南に5キロ程度の場所。

完全な観光地だが、まさに砂漠の光景を見ることができる。

ラクダに乗って出発。

ラクダが腰を下ろす様子。

ラクダに乗っている間も砂嵐はものすごく、砂が入り込んでカメラのレンズの開閉がスムーズにいかなくなってしまった。
ラクダはこの程度の砂はものともせず、一歩一歩進んでいく。初めてラクダのすごさを感じた。さらに、砂漠民(ラクダを引っ張って前を歩いて行っていたオッチャン)もすごいと思った。
   

市内に帰ってきてからは、いったんシャワーを浴びてから沙州街というところで食事。
ここには軽食を作る店が密集している。

屋外にテーブルが並んでおり、そこに座って注文をすると、テーブルごとについたお姉ちゃん〜おばちゃんたちがビールや軽食を代わりに注文に行ってくれるというサービスもあった。軽食屋はかなりの数があるので、初心者にはわかりにくく、このサービスは便利だった。が、テーブルに1人はいらないと思う。
自分たちの席についたおばちゃんとも色々話してみると、以前にも日本人やアメリカ人がこの軽食街によく来ているらしく、外国人旅行客(および研究者)と共存している街なのだと感じた。

ここで食べたのはやはり烤肉など。おばちゃんからはニレの木の花の炒め物、羊の太ももの串焼きを進められたので頼んでみた。ニレの木は普通。羊の太ももはとてもうまかった。

ここでも子供が近寄ってきたので写真を撮った。お兄ちゃんの方はナスの串焼きを何度も運んでくれた働き者。