4日目 〜中国式宴会〜

今日は、朝、親からの電話で起こされた。国際電話でかけてきたとのこと。久しぶりに独り言以外で日本語を使った。その後は部屋で勉強をしていた。勉強をできるようになったということは、とりあえず生活ができると感じたからだろう。購買部へノートや洗剤を買いに行った後、洗濯場に行ってみると、洗濯機はいっぱい。また洗濯カードをどこかで買ってこないといけなそうだったので、とりあえず今日のところは部屋で下着だけ手洗いをした。アイロンもなさそうだし、洗濯機も汚そうだし、量もそんなに多くないし、手洗いでもいいかもしれない。仮眠と勉強を繰り返していると教授から電話。17時20分に正門で待ち合わせることにした。
正門前には航空券を売っているらしい場所があった。杭州からそのうち大連や成都に行きたいと思っているのだが、航空券さえ準備しておけば、ホテルや空港までの移動はなんとかなるだろう。明日また確認してみよう。17時30分頃に車でお迎えがきた。なんでも農家のレストランまで行くとのこと。杭州は龍井茶の産地だが、その茶畑の近くの農家を、実業家に貸し出してレストランにしているらしい。なんでも1年で15万元(200万円)ほど。これは高い。普通に日本で都心に家を買える。確かに雰囲気は抜群に良く、外も中も景色がいい。最初は龍井茶を味わい、その後ご飯を食べた。ご飯もかなりうまい。日本で食べる中華料理と遜色がない。魚の料理や鶏肉が入ったスープはあっさりしていて、日本でも高級中華料理店でしか食べられないような味だった。
初めて中国人の食事に混じったが、やはりとにかく乾杯をする。教授はトップバッターとして何か演説をしていて、その間に3回ほど飲み干していた。食卓でも、自分が飲みたいと思うタイミングで誰かと乾杯をする。そして杯は乾かしていない。それを指摘される時もあったが、そうでないときもある。こちらでも雰囲気次第というところだろうか。その後、弾き語りの人がやってきて、即席カラオケマシーンになっていた。曲をリクエストすると、その人が曲を弾き、みんなが歌う。そういった感じで盛り上がっていた。教授がもっとも盛り上がっていたが、海外でやっていくためにはそういったノリの良さも必要なんだろう。宴会の途中で父親と舞から国際電話が入った。みんな電話できるようになったんだ、より一安心をした。
さて、今日集まっていたのは、中国児童少年基金会というところの安全防災教育プロジェクト室というところの主任と、清華大学の都市計画の教授と、そういった活動をするNPOを立ち上げている実業家と、そのNPOの参加者(若者が多かった)たち。日本の防災教育について聞かれ、こちらは防災にはハードと教育の両面が必要だと思うが、中国はどのような状況か聞いてみた。回答の8割方が理解できないのが悔しいが、こういう活動がどのような主体によって、どのような範囲で行われているのか知りたいと思った。また機会があれば話をしたいメンバーたちだ。
帰りは、車で大学の門まで送ってもらい、お礼をいって別れた。こんなことになるなら、日本からのお土産も持っていくべきだった。帰り道、やはり大学内には色々な店があることを再認識。自分が毎日行っている購買から正門側へ20メートルほど歩いたところに、「智能手机(スマートフォン)」の店が。もしかしてここで買えたのか・・・?まぁすんだことはよしとしよう。銀行もそのそばにあった。スイカもバナナも売っている。中国人は果物が本当に好きだ。初日、上海の空港で、「飛行機内に果物を持ち込まないでください」という注意書きがあった。液体爆弾との見分けがつかないからだろうか。それとも、中国人が飛行機で果物を食べたりすると汚れて仕方がないからだろうか。民族性というのは面白い。