〜京杭大運河、平湖秋月〜

今日は土曜日。授業がないので9時くらいまで寝ていると掃除のおばさんが来た。引き続き復習をした後、外出。今日は良渚文化という古代文化の博物館と京杭運河の博物館に行ってから、紹興に行くバスについて調べてみたい。タクシーに乗って、良渚文化博物館へ行ってくれと言うが、よくわからないとのこと。郊外なので博物館の位置まで知らないのはしょうがないかもしれない。こちらで言えば渋谷で乗って川崎に行く距離程度ではあるのだが。1時間から1時間半くらいかかると言われたので、行き場所を変更し、運河博物館へ行くことにした。そういえばこの運転手には「韓国人か日本人か?」と、初めて日本人かと聞かれた。
博物館は無料で開放されており、子供連れが大勢いた。この京杭運河(ジンハンユンフー)は北京から杭州までをつなぐ大運河。今でももちろん使われてる。隋の煬帝が完成させたとして有名だが、その以前から各地で運河は作られており、春秋時代の呉王夫差は既に淮河と長江をつないでいるし、三国時代の魏帝曹丕も運河を整備したと説明されていた。煬帝はこの運河を完成させた人物だが、中国では悪帝として有名だ。それは帝位につくにあたって兄を殺し、運河の完成後は酒色にふけったという人物像、運河の完成のために人を借り出しただけでなく、高句麗への戦争を仕掛けるという無理な政策が、当時の人民にも今に至っても受け入れることができない理由だろう。高句麗攻めの将軍にも反乱を起こされ、社会的な混乱の中、隋は唐の李淵に滅ぼされる。
それにしても、この大運河は1400年にわたり水運と灌漑のために使われ、唐代の長安は江南地方からの米の輸送が一気に増え、当時の世界最大の国際都市として発展をすることになった(当時の運河は洛陽の方に伸びており、そこから黄河を上ると長安に着く)。当時運河を作るために投じられた費用(人間)は莫大なものだろうが、この運河が中国経済に果たした役割も計り知れないだろう。スエズ運河やパナマ運河も同じように世代を超えて利用されるものとなるだろうが、それにしてもスケールが大きな話だ。なお、このような施設も作って終わりというわけではなく、維持管理が必要である。今日行った博物館にも、明時代の維持管理の方法について、法律や担当官の職位などの説明があった。日本で信玄堤などが古くから利用される土木施設とされるが、こういうものについても、世代を超えて必要性が認められるから保護され、今でも残っているのだろう。東京湾アクアラインや三峡ダムは世代を超えて利用されていくのだろうか。

博物館の近くは、保存しているのか作り直したのか、古い街並みとなっており、なかなかここも風情があった。博物館の目の前には区役所があったが、それにしても立派な建物だ。大連の旅行ガイドが、中国では芸能人と社長の次に所得が高いのは公務員だと言っていたが、いったいどうしてそうなるのだろうか。建前上計画経済だから、公務員は最も難しい仕事をしているということなのだろうか。

その後、自転車を借りて15キロほど南へ下り、再び西湖へ。2日目に携帯を買ったNOKIAの店も写真に収め、2日目と同じ道を歩いてみた。今日は断橋、白堤も渡り、孤山という西湖の中の島に来てみた。ここには浙江省博物館、西泠印社、楼外楼といった建築物がある。浙江省博物館は無料開放されているが、自分的には大して面白くなかった。西泠印社は1904年設立の篆刻の会社。会社の中が一つの大きな庭園になっており、石碑などもあったが、例によって落書き(彫りこまれたもの)されていた。中国人は万里の長城などの世界遺産にも落書きするが、本当にもったいない。自分の家族や身内しか大事にしないという性分が、極めて貴重な公共物であっても大事にしないということにつながるのだろうか。楼外楼は古くからあるレストラン。

さて、この孤山からは、「平湖秋月」という言葉で表される西湖十景の一つがある。なだらかな湖に映る秋の月は本物の月よりも明るく、美しいという風情を表している。何度も書いているが、西湖の風景は確かにとても美しい。マルコ・ポーロが絶賛したのもよくわかる。もし知人が来るとしたら北京より杭州を紹介したいと思う(北京は北京、上海は上海、西安は西安、香港は香港の良さがあるが、実際に暮らす感覚を求めるのであれば杭州がいい)。

寮に帰ってみると、電気がつかない。フロントに言ってみたが、電気を買っていないからだとか何とか言われた。言っている意味がわからないので聞き返すと、言葉が通じないことにもゲンナリされ、部屋番号と名前を確認されたが、おそらく前に住んでいたと思われる韓国人の名前を言われたので、昨日部屋を移ったんだと言い返すと、ようやく「わかったよ。部屋に戻っていてくれ。10分でつくようにするから。」と言われた。10分どころか40分待ってもつかないので、下に行ってもう一度言うと、「部屋で待っていろ。5分でつける。」と言われ、部屋に戻るとようやく電気がついた。
全くサービスとしてなっていない。留学生宿舎のフロントだろうが。母国語で話が通じなくて何ゲンナリしてるんだ。白人にはおどおどするくせに。俺も英語で話してやろうか。・・・と、来た当初はへこんでいたのに、こういう風に思えるようになったのは、まぁ慣れてきたからなんだろう。それにしても、フロントのサービス水準の低さにはあきれるものの、自分の中国語レベルの低さも危機的状況だ。頑張らないと。