清華大学入学式、学部歓迎会

今日は朝から清華大学の入学式があった。朝目が覚めたときは、外はひどい雷だったが、出発する頃には一旦雨が上がってくれたので、自転車で行くことができた。入学式では学部ごとに席が割り振られ、ありきたりの儀式があった後、国歌を歌ったり、校歌を歌ったりした。もちろん自分は前者は歌わないし、後者も歌えないが。
式典前に隣の人が話しかけてきたので、自分も下手な中国語なりに、とにかく色々話してみた。どこから来たのか、指導教授はだれか、何を研究するのか、何のスポーツが好きか、もう働いているのか等々。そのうえで、携帯番号も聞いておいた。一人は北京の別の大学を卒業した山東人。もう一人は昆明政府で働いている博士課程の人。

その後、入学式が意外と早く終わったので、語言大学へ行き、午前後半の授業に出て、久しぶりに学食でご飯を食べた。その後午後の授業も途中まで出てから、再び清華大学へ。今度は建築学院主催の歓迎会に出席した。ここでこないだ会った教授がいたのでまた挨拶をしたのだが、今年この教授は博士課程2人、修士課程5人を見るらしい。結構な人数だ。建築学院の歓迎会では偉い人たちが講演していたが、やはり語言大学の学食が悪かったのか極度の腹痛が襲ってきたので、失礼ながら途中退席。大事なことの前に安物のご飯はやはりダメだ。授業の説明などもあったが、時間も押していたからだろう、めちゃくちゃ早い中国語で説明されたので、全く何を言っているのかわからなかった。ここでまた一度疲れ果てる。

建築学院全体の歓迎会の後、夜に都市計画専攻の歓迎会があったので、その間自転車で清華大学を見学して、教材を売っている店を発見。今日はもうしまっていたが、明日また清華大学に来ないといけないので、その際にでも都市計画関係の本を買っておこうか。

夜の歓迎会では、意外と和気藹々とした雰囲気になっており、ヒマワリの種やブドウ、お菓子とお茶なんかが準備されていた。まさに大学という感じの健全な親睦会。入学式で携帯番号を交換した彼もいた。最初入り口付近に座ったのだが、明らかに外国人らしき人を見つけたので、その人の隣まで突っ込んでいき、自己紹介をした。その人はモーリシャス人で、中国語もかなりのレベルだが、何でもフランス語、英語などを含めて5か国語ができるらしい。見た感じ、中国語が母国語ではない留学生はこのモーリシャス人と自分の二人くらいだったので、お互い拙い中国語で色々話した(彼はもちろん英語ができるが、昨日も書いたとおりできるだけ英語を使いたくないし、英語を使う能力も落ちているので)。彼はエコタウンを専門に研究するらしい。モーリシャスの人なんて人生で二度と出会わないかもしれない。

チューターの人もかなり色々準備してきており、かなり楽しい雰囲気で自己紹介をしあった。(隣の5人の名前を覚えてなかったら罰ゲームで歌を歌うなど。自分はスラムダンクの主題歌を歌わされた。こんなところでWANDSを歌うことになるとは思わなかった。)その後、生活班長や学術班長などのクラス委員を決めた。モーリシャス人は何故か文芸委員に推薦されていた。ところで、こういうクラス委員は、ほとんど立候補で決まった。これは党の活動との関係があるのかもしれない。大学で立派な活動をした人は共産党の中でも評価をされると聞いたことがある。その辺のことはどういう風に誰に聞けばいいのだろうか。。

都市計画のクラスは全部で、45人。そのうち都市計画専攻が37人、景観専攻が8人。修士が27人、博士が18人。男が18人、女が27人。党員が17人、という構成。名簿上でも党員構成が明確に記載されていたが、これは中国語クラスならではなんではないだろうか。歓迎会の後、一部の人が残って会議みたいなのをしていたので、もしかするとこれが党の活動なのかもしれない。

歓迎会ではモーリシャス人以外にも千葉大学に造園の専攻で留学していたという人が話しかけてきてくれたので、この人ともさっそく携帯を交換しておいた。携帯さえ知っておけば、会話はうまくできなくても、ショートメールで何でも聞ける。大事なことなどは文字で聞いておきたかったりもするので、今日は本当に収穫が大きかった。
それに、今日出会った中国人にしてもモーリシャス人にしても、初めての同じ境遇の友人だ。特にモーリシャス人は中国語というハンデを持って授業に臨む大事な友人である。さっそく携帯のショートメールを送っておいた。

というわけで、今日も長い一日が終わった。中国人の学生もモーリシャス人ももう研究の方向性がかなり固まっているようなので、自分も早く具体化しないと。そのためには論文とか教科書を早く読まないとなぁ。

CCTVでは日本の政権がなぜこんなによく変わるのか分析している。詳しいことは聞き取れなかったが、制度上の問題だと言っていた。明日も明後日も盛り沢山だ。