成都、麗江旅行4 汶川、都江堰

今日は成都郊外の汶川、都江堰の見学。

1日600元で車をハイヤーし、郊外を回ることにした。

まずは汶川県の中の映秀鎮というところ。2008年5月12日に四川地震で最も被害が大きかったところの一つだ。街は完全に新しく作り直されていたが、地震の記念館のようなものができていた。
 

記念館というか、中では、地震で壊れた中学校がそのまま残されていた。建築物の強度など日本と違うところがあるかもしれないが、いずれにせよ地震の大きさを感じる。
  
それにしても、壊れた中学校の壁には普通に触れるし、中に入ろうと思えば入れるし、残し方は日本と大違いだ。
香港メディアなどでは中学校の工事の問題が指摘されているが、政府の報告では地震が大きすぎたからであって工事には問題がなかったという報告がされている。だからこそ、こうして残すことができるのだろう。

街の方は完全に新しく作られている。家は広州市政府の援助があり、1平米あたり800元の個人負担で購入できるらしい。土地が集団所有だとすると、この額は決して安いわけではない。100平米の住宅で8万元=100万円するのだから。中国の農村の所得ではかなりの額なはずだ。
街中の道路は曲がっているが、オープンスペースもあるし、幹線道路との接続も悪くないように思う。
 
 
気になる点は、統一感がありすぎて昔の街の雰囲気というものが見えてこないこと。話を聞いた中国人はみんな綺麗になったと言うが、この街には地震の後の再建築以外の何が残っているのだろうか。
まぁ、地震の際の写真を見ると、ほぼ完全に壊れてしまっているので、新しく街を作りなおすとすれば、そしてこの規模の街であれば(人口6000人強)、こうなるのが普通なのかもしれない。
近くの山の上にはまた別の村があったが、同じような作りになっていた。ここは東莞市の援助で作られたようだ。間には地震の犠牲者の共同墓地があったので、自分もお祈りをしてきた。墓の形は日本と若干似ているが、道教が主だからか戒名というものはなく、写真が彫りこまれていることなども特徴的だった。

映秀鎮を見た後は、成都に戻る途中にある都江堰市で、世界遺産の都江堰を見てきた。2500年ほど前の秦の時代に作られたダム。武田信玄が作った信玄堤が今でも役に立っているということもすごいが、日本の縄文時代である秦の時代に作られたダムが今でも残っているというのはすご過ぎると言うしかない。隋の時代に作った大運河もすごいが、中国の土木建築は規模が大きすぎる。
さて、ダムの見どころと言われるところまで行ったのだが、ダム自体が見当たらない。あれ?残っているんじゃないの?遠くに見える小さいのがダム?
 
と思ったが、説明書きを見ると、写真の真ん中にある中洲のようなところ自体がダムだという。本来の川の流れをこれで2つに分けて、成都のある盆地に川を引いてきたそうだ。この水によって四川盆地は農業生産が上がり、天府の地と呼ばれることになる(劉邦、諸葛亮がこの地を拠点に天下を争うことができた理由だ)。
自分の想像を超える土木工事であり、非常に納得させられた。やはり中国はすごい。

夜はこんな感じの3日連続四川料理。
  
今日は充実した一日だった。