UrbanPlanningとメタボリズム

メタボリズムとは、黒川紀章などの建築家が代表する「新陳代謝」をモットーとする建築流派のこと。中銀カプセルタワービルに代表される。
彼は仏教の輪廻転生などの考え方にも影響を受けており、「変化」、要するに建て替えを念頭においた建築や、「中心」がなく、直線的ではない建築を企図している。
大阪万博で彼が手がけたパビリオンも、「万博は一時的な都市である」という考えのもと、簡単に解体ができる建築をしている。

この変化を前提にした考え方は、日本では古来伊勢神宮、出雲大社などの神社の式年遷宮に通じるものであるし、最近の200年住宅(長寿命住宅)も同じだ。リフォームすることを前提とすることにより、200年もの長期利用が可能な住宅を作り、省エネなどに寄与することが図られている。

これは建築だけだろうか。

都市も変化を前提に設計することができないだろうか。都市計画が英語でCityPlanではなく、CityPlanning、UrbanPlanningであるということはよく言われることであるし、ル・コルビュジェの輝く都市などの都市計画に反論するジェイコブスの著作も「アメリカ大都市の『死と生』」である。通じるものがあるかもしれない。

今日本で検討が進められている、防災に強い街づくりにしても、50年、100年、1000年後にその地域がどうなるかはわからない。ただ、今作り直す都市とは違ってきて当たり前ということは言えるだろう。

あるいは、コンパクトシティにしても、現在の人口、経済規模、交通、建築技術では最適な都市空間が、将来これらの要素に変化があれば都市の形が変わるのは当然だ。高層ビルはなくなり、200年前の平屋だけで形成されていた江戸のように、徒歩だけで生活ができる究極のコンパクトシティである過去への回帰が起こるかもしれないし、技術革新を経て高齢者にとって自動車がもっと利用しやすいものとなり、環境への影響という観点からむしろ高密な都市は忌避されるかもしれない。

計画は守られなければ計画としての存在意義がないが、状況に合わせた変化ができなければ計画の利用価値はなくなる。都市計画も絶えず進行形であるべきであり、立派な図面を描くよりも、Planningをできる土壌を担保する制度こそが本来必要なのだろう。