汶川県映秀鎮

四川地震の跡に作られた町。

町の入口に地震災害の象徴的なモニュメントと行政、公共施設。中心広場を挟んで反対側によく均整のとれた住宅兼小店舗のまちが広がっていた。大き目の直線的道路とカクカク曲がった道、おそらく歩車分離形式。住宅と住宅の間には小さなスペースもある。普段は四川人が好きな麻雀も打てる空間にもなるだろう。職住近接で防災機能も兼ね備えた機能的な設計なのだろう。
汶川県のとなりの集落には、復興と共にこの地域の少数民族文化博物館も併設して、今後は町として民族文化振興を図る取組もあるらしい。

これらの設計や取組はもちろんいいと思うのだが、ぱっと見た感じ統一感があり過ぎて違和感を感じるのも否定できない。汚い環境ながらも単位や身内のつながりが強い、昔ながらの中国農村都市(鎮)の雰囲気と違う気がするからかもしれない。

ただ、これは1観光客が、ただ機能面だけからこの町を見ていたからかもしれない。この町がここに存在してきた理由、機能だけでなく文化歴史も含めてこの町に残されていて、住民の中でそれが共有されているのであれば、このような田舎の一農村都市であっても、地震復興の象徴的都市という機能が薄れていったとしても、この町はここで成立し続けるだろう。

客引きのおばちゃんに連れられて行った食堂で食べていたとき、隣の家の娘さんが皿を借りに来ていた。丘の上の村の若い女性が春節の踊りの練習をしていた。逆に、丘の上に立てられている震災博物館はやっていなかったし、その近くにあった民族料理の屋台も設備だけがズラーッと並んで誰もいない状態。

住民同士の継続的なつながりが続く限り、町の外からの観光客に依存することなく自立的に存続(×発展)できる素地が残るような気がする。
逆に、地震復興の象徴、民族博物館という外への依存で成り立つ機能を重視しすぎると、この町がここにあった意義がなくなるのではないか。