思考能力

昨日は現場観察力について書いたが、今日は相反する観点について。

昨日12時半まで今日のプレゼンの準備をしていて、今日朝一の授業はサボってしまった。
9時半からの授業に出て、昼からはおなじみ設計の授業。
今日のプレゼンは英語でやれという指令が来たので急遽原稿を作ったのだが、結局アメリカの教授が途中で帰ってしまい、それ以降は中国語でやることになった。英語だけを準備していた留学生にとってはこれは負担が大きすぎる。

と愚痴はそれくらいにして、今日は同級生のモーリシャス人と話していたときに、気づかされたことがある。
彼はいつも大きな観点を重視している。前期の最終プレゼンも、「もし自分が市長になったらどうするか」というところから語り始めたし、今期のテーマは古い飛行場の跡地の開発計画なのだが、まず、「この飛行場だったという記憶をどうやったらこの地域に残せるのか」ということを考えていた。

要するに、具体的な検討をするにあたって、その後ろにある理念を重視しているのだ。大きな理念こそ人を引き付けるんだというようなことを言っていた。

自分はどちらかというと、大学は法学部で、その後の仕事も下っ端として調整ばかりをしていたので、現実的なことばかりが見えてしまい、理念、理想といったものを作るのが苦手だ。もちろん、都市を対象にすると、そこに現在実際に住んで暮らして働いている人を対象にすることになるので、現状の分析は非常に大事だし、都市計画を実施していくためには関係者との調整や組織作り、資金調達など現実的な仕組みを作り上げる必要もある。
しかし、建築は芸術であり哲学的な観点が大きな位置を占めるし、都市計画にしても理念がなければそもそも動き始めないし面白くもない。過去から時代を超えて残ってきているものは、そこに何かの思いがあるはずだ。
それが何か、逆に未来はどういう都市になるべきか、といったことを、せっかく大学という自由な環境にいるんだし、仮に仕事に戻ったとしても今後は考えていかないといけないのだと感じた。