前半の発表終了

今日は朝から発表2つ。
・・・の予定だったのだが、両方とも結局発表できなかった。

1つ目のは8時からの授業で、住民参加について発表する予定だったが、クラス全員の発表をさせようとしていたのと、単なる発表ではなくて討論会だったので、当然時間が足りなくなり、通常90分の授業が4時間以上に伸びたが、結局発表したのは7割程度。後半のテーマの学生たちは発表できずに終了。

2つ目は設計授業の中間発表。ハーバードのPeterRoweというそこそこ有名な教授や昆明政府の関係者も聞きに来る重たいやつだが、これもハーバードの教授や役人たちの批評が長く、1グループあたり1時間ほどかかっていたので、結局9グループ中6グループで終了。自分たちのグループは発表できず。

それにしても、今日は延々とチャイ語と英語を聞き続けることになり、疲れ果てた。。。

面白かったのはハーバードの教授。
さすがハーバードというのだろうか。学生たちの発表も疑問に思う点を鋭く批判していたし、挙句の果てには昆明の公的な計画への批判も始めて役人たちと論争になっていた。

中国の大学では、お互いの批判の文化が少なく、日本の大学時代よりもそういう意味ではぬるく感じていたので、今日は痛快と言えば痛快だった。

例えばクラスで一番できる奴の発表。研究手段はとても面白く、例えばその地域についての標高を分析し、新しく作る新街区から湖も山も見えるような景観を維持するための高度規制を検討していた。ここまでやっていたのは今日発表したグループでは他にはいないため、中国人だけならたぶん流れていくところなのだが、アメリカ人教授から指摘が入る。
「何故この角度で検討しているんだ?」
クラスメイトは英語も堪能なので、英語で説明。
「ここの山は有名な歴史を持っている山なので、この地区からみられるようにしている」
「そういう意味じゃない。なぜこの角度で湖を見るのか。」
クラスメイトはまた説明を始めるが、うまくやり取りがされていない。見かねた中国人教授(彼女はパリに留学経験があり、かなり頭がいい)が中国語で補足する。そう、湖を見る景観というのは、高いところからの景観であり、建物レベルや山からの兆候という意味で追求するならともかく、都市レベルしかも大規模開発地区で追及するのはどこか変なのだ。
クラスメイト達の研究結果は、ビルの屋上からの景観を検討していることになってしまい(つまり歩行者からの景観ではない)、「ナンセンスだ」とばっさり言われてしまっていた。

他にも、この地区の街区状況を検討するために、世界の都市のCBDエリアの衛星写真をこの地区に埋め込み、どういう都市構造ならこの地区に合うかという分析を加えたうえで、幹線道路や道路の間隔、オープンスペースの配置などを検討していたのだが、アメリカ人教授はこういう。
「君たちが検討した例はヨーロッパ(厳密には東京、シンガポール、香港も含んでいた)の大都市のCBDだ。この研究は意味がない。」
指摘されてクラスメイト達は止まってしまう。見かねた中国人教授から助言。
「君たちの研究したエリアは元々市街地が広がっている場所で、今回の昆明の地区は急激に都市化が進む地区。今後の地区形成のスピードやステップが違う。」
それはその通りなので、クラスメイト達は何も反論できない。
「まぁ研究の手法としては面白いけどね。」
とアメリカ人からフォローが入った。

最も痛快に感じたのは、昆明市政府とのやりとり。
新空港の開発設計を担当していたクラスメイトが、事例研究として市街地からの距離が近いソウルの仁川を出した時に、教授から即座に質問。「仁川はまずい。昆明の推定旅客量はいくらなの?」
クラスメイトが「500万だ」と答えると、「夢を持つのはいいけど」とアメリカ人。
500万の根拠は昆明市政府の計画のようなので、たまらず隣で発表を聞いていた彼らが説明を始める。「現行空港の利用者が何万人なので・・・。」
一時やりとりをした後、結局発表に大きくは関係ない場所なので飛ばして先に進むことになったが、アメリカ人は納得していないようだった。

もちろん、前の2つはともかく、空港需要について現地の役人とアメリカ人教授のどちらが妥当なのか、簡単にはわかるわけがないが、とにかく印象に残ったのは、アメリカスタイルの討論。

日本もまだまだ権威主義は強いが、少なくとも大学の中でそういうことはないだろう。そういう意味で、中国の教育水準は高いが研究水準はまだまだなのかもしれないと感じた。


いずれにせよ疲れ果てたので、終わってからは北京に来ている同期に連絡を取り、一緒にタイ料理を食べに行った。最近マクドケンタッキー率がかなり上がっていたので満足。

さて、課題も後1つ。明日までに読書感想文の翻訳だけだ。