指導教授のゼミ & 学芸会

今日は冬休み前最後の指導教授のゼミ。今日は教授がプレゼンをした。
テーマは中国都市設計の問題について。

かいつまんで要約すると、
・中国はただのコピーが多い。
・その地域の歴史、文化、社会についての理解を深めてから設計をしないといけない。
・現状に否定するのではなく、自信を持たないといけない。
といったところだっただろうか。

例として、コピーものの都市設計の例と、雲南省の小さな昔ながらの集落と、景徳鎮を挙げていた。
自分としては、
・その地域の歴史等を理解しなければならないという点は同意。
・しかし、より根本的な問題は、都市計画家が理解するだけではなくて、そこの住民が理解し、将来どのような生活を望むのか。都市計画家の役目は、新しい都市像の提案をするのはもちろん、住民の思いに合わせた都市設計を模索していくことではないか。
・そう考えたときに、現在都市デザインをする際に、どれほど住民参加が図られているのか。
・また、昔ながらの集落については、現状として非常に合理的な空間になっているという点は理解。
・しかし、その集落はその状態を”保存”すべきなのか。歴史的な有形無形遺産はどの程度保存すべきなのか。
・その際も、住民が、自分たちの街の歴史をよく理解したうえで不要だと思うならやむを得ないだろう。住民が残したいと思うなら、都市計画家は住民の過去と未来の共存を図りたいという思いを重視してデザインを提案する必要があるだろうと思う。
・上記のように考えるのは、都市計画家、あるいはディベロッパーは、その地域に長期的な責任を持たないから。長期的にその地域と共に生きていくのはやはり住民であるため。都市開発は一時的な商売ではないため。

中国は西方(欧米+日本を意味する)思想をどう参考にすべきかという点を、指導教授はたびたび強調している。自分も、中国は、何の特徴もないただの国土、人口の多い国にならないよう、歴史、5000年の膨大な文化遺産を重視すべきだと考えているので、この論点は根本的であり、重要な点だと思う。

というわけで、日本が明治維新の際、欧米の文化、制度をどのように取り入れ、日本伝統の文化をどのように残していったのか、ということも冬休み以降調べてみたい。



その後、忘年会を兼ねた大学院生の学芸会があった。

自分たちのクラスは前に書いた詩吟をしたのだが、ほかのクラスや個人参加も多くあり、映画のアテレコ、中国舞踊、楽器の演奏、クイズ、椅子取りゲームなど、ビールも用意されていたが、いつも通り健全過ぎる催し。

夜7時から始まり11時前までやっていた。その後、掃除をしてから、近くの(よく行っている)刀削麺の店で打ち上げ。19人で刀削麺や串焼きなどを食べた。ここでもビールは一人缶一缶で、みんなまた一人一曲ずつ歌うことになった。

感じたことをいくつか。

・上にも書いた通り、中国人のイベントは、合唱会だったり、学芸会だったり、スポーツ大会だったり、極めて健全。ゲームも椅子取りゲームという、いつ以来だろうかと思う内容。下世話な出し物は全般的に避けられている。こういう内容でみんな楽しめるのであれば、それはそれで良いことだと思う。

・片づけは本当に下手。普段授業につかっている講堂を利用していたのだが、片づけの際、まず会場内に残していた椅子を並べ終わり、後から、外に置いていた机を持ってきた時、再度椅子をどかす必要が出ていた。この行動は、自分の責任範囲にしか責任を持たないという、中国人に対してたびたび感じていることに照らしてみると、よく理解できる。

・ゴミの捨て方がひどい。ところ構わず捨てており、見た目がとても汚い。机の上も所構わずみかんの皮や、食べかけのものが散らかっている。
日本だと、皿があれば皿の上に載せたりして、机の上に捨てたり、まして床に捨てたりしない。捨てる段階で、できるだけまとめる癖がある。
この行動は、レストランでも同じだ。結局、中国人はおおざっぱで、日本人は細かいのであろう。どちらがいい悪いはないが、相容れないものは相容れない。

・箒で掃除する人が掃除した後なのに、風船を片づける人が、風船を割ってそのままゴミを放置していた。上に書いた2つにも通じる。これにはモーリシャス人も若干あきれていた。

・打ち上げの時も、やはりご飯を食べに行こうと言っていた。飲みに行こうではない。実際飲んだのは一人ビール1缶ずつだったし、お酒と言うものに対する概念がどこか違う気がする。


打ち上げが終わったのは夜1時。そっから家に戻って明日の朝の発表のpptを追加で1枚作成した。
日本にいるときと比べるとこちらに来てずっとだが、最近は特に1週間が長く感じる。一昨日の朝、チャイ語の試験をやっていたとは到底思えない。