西安観光 〜阿倍仲麻呂に思いを馳せて〜

昨日、一昨日で是非とも行きたい観光地には行ってきた。郊外には華清池、法門寺、華山、五丈原などの見どころもあるが、1日がかりになってしまうので、今日も雨が降っていたことだし、近場を回ることにした。

ホテルからバスで5分ほどのところに興慶宮公園という、唐の玄宗皇帝が政治が政治を行っていたという興慶宮の跡地に行ってみた。ここは現在は無料で入れる公園になっているが、当時は今の倍以上の面積があったとのこと。あまりガイドブックにも載らない観光地としてはマイナーな場所だが、自分がここに来た目的は、阿倍仲麻呂記念碑を見に行くことである。阿倍仲麻呂は、百人一首で誰もが覚えたことのある「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」という短歌で有名な奈良時代の留学生。吉備真備とともに遣唐使として派遣され、難関試験の科挙に合格し、中国で文官として職を務め、王維などの詩人と交流を深め、50を過ぎてから35年ぶりに帰国を図るが船が難破し、結局日本に帰ることができなかった人物だ。留学生の大先輩として、せっかく西安に来たなら見てみようと思っていた。

記念碑は予想以上に立派なものであり、中国名である晁卿ではなく、しっかりと阿倍仲麻呂記念碑と書かれていた。石碑の側面には、中国語だが仲麻呂の句も記されている。

翹首望東天 首を翹げて東天を望めば
神馳奈良邊 神(こころ)は馳す 奈良の辺
三笠山頂上 三笠山頂の上
思又皎月圓 思ふ 又た皎月の円かなるを

阿倍仲麻呂は中国人にも尊敬されている人物だ。温家宝も演説で取り上げたことがある。それは何度難破しても日本に行くことをあきらめなかった鑑真を日本人が尊敬しているのと同じなのだろう。近年では、孫文や魯迅、周恩来と行った人物が日本での留学経験等をもとに中国で活躍をした。当時の苦労を偲びながら、自分もこの留学で何か身に付けていきたいと心の中で念じ、石碑の周りに落ちていたゴミを片づけて、公園を後にした。

その後、こちらも有名な博物館である碑林博物館というところへ。ここでは各時代の石碑が保存されている。古いものでは三国時代マニアなら知っている蔡邕という学者が書いたものや、司馬懿の父親の略歴について記載されたもの、唐代では顔真卿という、王羲之と並び称せられる楷書の達人の石碑が数多くあった。明や清のものでは、黄河流域図や、洪水の被害状況、排水路についての石碑などもあった。確かにすごいのはすごいのだが、入場料75元というのは少し高いような。兵馬俑も110元するからそんなもんだろうか。
 

市の中心部に泊まっているからだろうか、西安はかなり大きな街だと感じる。鐘楼から四方に伸びる大街路だけでなく、ほかの通りにも大きなショッピングセンターがあるし、とにかく服飾店が多い。杭州には中心地には立派な百貨店やブティックもあったが、これほど服飾店であふれていなかった。やはり純直轄市の西安市民は杭州よりも購買意欲が高いのだろうか。なお、路地裏に入ると一気に昔ながらの雰囲気になるのは、6年前に行った北京と同じである。整備された道はなくなり、路上で物を干したりしている。杭州では大通りとその他でそれほど差を感じなかったが、格子状の街だとそうなりやすいのだろうか。

さて、明日からはいよいよ北京である。まだ1カ月間は語学研修とは言え、気分としては長期の休暇が終わって、明日から仕事という気分。6年半ぶりの北京は変わっているのだろうか。