ジェイコブズと城中村

ジェインジェイコブスは、近代都市計画を真っ向から否定した有名な都市学者。
今、アメリカ大都市の死と生という本を急いで読み始めた。というのも、やはり、中国の都市計画はあまりに近代都市計画に傾倒している感じがするからだ。

設計の授業でも、おそらくほとんどの人が、このエリアは商業地域、このエリアは居住地域と区分して、大きな広場とまっすぐ伸びた街路樹の生えるような街路、そして、水や緑があふれ、歴史的文化遺産を保護する地域を持ち、コンベンションセンターや体育館などの娯楽施設も有するような理想的な市街地を作ろうとしている。
公共交通機関を中心にした交通システムで、土地利用にメリハリをつけ、居住地域の密度は低く、商業地域やビジネス地域などの駅前は高く計画する。

この都市計画論に基づくと、スラム(中国では、城中村)は改造すべきで、その地域に住むほとんどの人が快適な生活空間を保有することが目的とされる。

ジェイコブスは、こういう理想が空想に過ぎないと、指摘しているように思う。スラムを取り壊し、公営住宅を整備してもその地域は再び荒れるという例は多いし、スラムを取り壊し、そこを良好な地区に改造しても、元住んでいた人は、別の場所でスラムを作る。
理想的計画を作っても、そこに住むのは、その生活環境を手に入れられるだけの所得を有する人だし、場所が変わるだけで、都市全体としては変わらない。
また、ジェイコブスは本の最初でボストンのある地域の例を引き、都市計画家からはスラムとして認識され、改善すべき土地だと考えている場所が、実は青年非行率も、乳児死亡率も、疫病流行率も低く、最も活気に満ちた地域だという例を出している。

いわゆる都市計画論とは正反対の理論展開であるので、まだ本を全部読んでいない中で生半可な理解をしてはいけないが、自分が今学期取り組む昆明においてフィールドワークをした際、最も活気があると思ったのは、農産物マーケット(地元の農民が、地面に直接魚を置いて二束三文で取引している)であり、城中村であった。こういう地域では子供たちが川に入って遊びまわり、大人たちは商売をしながら麻雀をして遊んでいた。
一方、数年前に建てられた高級マンション地区は、大きな公園もあり道路も広く、清潔感にあふれていたが、休日の昼にも関わらず、ほとんど人を見かけなかった。

何故だろうか。城中村や農村マーケットに来ている人は、決して生活水準が高いわけではない。彼らの生活をそのままでいいと思うわけでもない。高級マンションに住む人はきっと所得は高く、車でドライブをして百貨店までブランド品を買いに行っているかもしれないし、ゴルフをしに行ってるかもしれない。
しかし、城中村を潰して、オフィスビル街にして、何になるというのか。あの人たちはどうなるのか。仮に移転補償で所得が上がったとして、地域に活気は残るのか。

中国人の優秀な学生たち、そして優秀な地方政府のリーダーたちは、この地域を近代都市計画により、「近代的な」街にしようと考えていると思う。だが、自分は、「城中村を保護すること」、城中村を残しながら所得水準を上げる手段について考えてみたい。

もしも、大人たちはちゃんと生産的な仕事をしながら、子供たちはちゃんと教育を受けながら、道端で子供が遊び、大人たちが麻雀をするような地域ができたら、素敵ではないだろうか。